2001/2/08更新
今日のエッセイ
女性は月か太陽か

自らは光を発してはいないのに、あたかも光を放っているごとく、
その姿を変えるモノに、月がある。
太陽を背にすれば、新月となり、姿が見えない。
太陽の光を正面から受けると、満月となり、
その反射する光は、地球をも明るく照らす。
しかし、これも天動説的に、地球から見た姿でしかないが。

「原始、女は太陽であった…………」
ウーマンリブの運動が、華やかなりし頃、良く引用された詩の一節。
国語の教科書にも、出ていた記憶があるが、作者は忘れた。
運動推進派は、
”女性は、男性の光によって照らされる存在ではなく、自ら光を放つべきだ。
月ではなく、太陽であるべきだ”
と主張していた。
個人的な意見を言わせてもらえれば、月も太陽もどちらもいて欲しい。
夜空を見上げて、星しかまたたいていないなんて、寂しい。
僕は、男性は、太陽ではなく、地球だと思っている。
男性は、天動説でものを考えがち。
自分を照らしてくれているモノの、存在に気が付かない。
悩みや、苦しみで、深い闇に迷い込んだとき、
雲の隙間からの、優しい月(女性)の明かりに、道を見つけることだってある。
女性が、太陽か月か、と論じること自体、男性(地球)の視点ではないか。
月が地球を照らすように、月から見れば、地球が月を照らしている事にもなるのに。

21世紀、太陽でも月でも、地球でもない、彗星みたいな存在の女性が増えてきた。
今だけの尾を引く輝きを残して、いつかは光を無くし、忘れ去られる。
何時かは、太陽か月になってくれるだろうか?

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