2000/08/07更新
今日のエッセイ
向日葵

”……ぼくにはときどき自分のしたいことがこんなによくわかるときがあるのだ。
………ぼくは絵のなかで何か音楽のような慰めになるものを語りたい。
かつては輪光がその象徴であり
………あの何かしら永遠なるもの……を描きたい。”
(アルル 1888年 ゴッホの手紙より) 

今、僕の手元に、 David Douglas Duncan の写真集
”ひまわり―ヴァン・ゴッホに捧げる―”が有る。
タイトルの通り、ひまわりだけの写真集。
ゴッホが見た景色は、きっとこうだったのだろう。
東だけを向いて咲く、その大輪の花。
今の僕よりずっと若い年齢で、逝ってしまったその天才画家が、晩年に描き続けた 題材。
僅かに、12点しか描かれていないひまわりの絵でありながら、
彼の全てでもあるかのような題材。
12点のうち、7点はプロヴァンスのアルルで描かれた。
フランスへは、ビザを取ったことはあっても、結局まだ足を踏み入れたことはない 。
そんなことはどうでもいい。
明るい夏を象徴するような、色と佇まいが、陽気でいい。
いつも太陽に向いている、という(あくまでも)イメージも前向きでいい。

向日葵……日に向かう葵。
かつて、葵の御紋を旗印に、天下を取った徳川家は、
向日葵のように東に向かい、江戸に幕府を置いた。
そしてやがて、さらに東の国からの使者によって、終焉をむかえた。
向日葵とは逆に、西を向き、東に背を向け続けた果ての結果だった。
葵は、向日葵とは、違っていた。

週末、東京の家には、妻が買ってきた、明るい色のヒマワリが3輪、
東の窓辺に飾られていた。
ひまわりは、SUN FLOWERだもの。

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