2009/7/6

マイケル・ジャクソン

マイケル・ジャクソンが突然亡くなりました。世界のアーティストというだけでなく、個人的な思い出もあり、本当に、本当にびっくりしました。

今から16年前、仕事でマイケルのコンサートに携わりました。デンジャラスツアー。私はPR担当で、記者会見のセッティングと司会もして、運営部隊と連絡を取り合いながらメディアとの調整に奔走しました。コンサートもPRも大成功に終わった充実感あふれる思い出です。瞬きをする間に完売したチケット、28,000人の観客を釘付けにしたコンサートを目の当たりにして、彼のスケールの大きさに驚嘆させられました。その後も海外からのアーティストのコンサートの仕事をする機会が何度もありましたが、この時のマイケルの衝撃を越えるアーティストはいませんでした。

米国内ではマイケルが亡くなった当日、翌日は、テレビ局がこぞって特集を組み、追悼番組を流していましたし、その後も、日本と同様に亡くなった原因や遺産相続についての報道が続いています。7日に催される一般向け追悼式の入場券応募サイトに5億ヒットが記録されたとのこと。アメリカ在住者だけとの条件付きですが、何としても参加したい世界中のファンがいるでしょうね。
とても不思議ですが、私の周辺でこのことに関して話している人は、ひとりもいません。夫は「びっくりしたよ」のひとこと。子供たち、特に長男はマイケルよりもビートルズと山下達郎が好きで、事態の大きさが良くわからない、つまり興味がない様子。職場の大学でも話題にもならず、受講するクラスでも、夏学期は学生数が少なく、学生のおしゃべりも聞こえてきません。世界レベルのニュースにもかかわらず、この田舎町はとても静かです。

「あまりに有名でしかもお金持ちだと、普通の生活ができなくなるのよね」。世界レベルの有名人と仕事をした上司の言葉です。本人とその家族は一生、完全警備の家に住み、警護無しには外にも出られない。心を許せる人は限られる。― マイケルはようやく心も身体も自由になったということでしょうか。

マイケルの数々のヒット曲も、素晴らしいダンスも歴史となってしまいました。

私の心の中でも、冒頭の思い出が歴史になり、きれいに畳まれて特別な場所に保管された、そんな気持ちになりました。

アメリカからのこそだて奮闘記


日本で大手企業の広報課長を務めているときに、アメリカ人の英会話教室の先生と結婚、渡米。日米の文化の違いに悩まされながら、子育てに奮闘中。

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