2003/1/16

ネイティブアメリカン居住区にて


海外に在留する日本人の数は83万人。
そのうちアメリカに在留する日本人は、約31万人なのだそうです。
不景気で日本企業による海外駐在は大幅に減ったといわれていますが、どうしてどうして。永住者を除く、約20万人もの長期滞在者の半数は民間企業関係者とその家族です。そういった方たちは、やはりニューヨークやロスアンジェルスなどの大都市で生活をされる方が大半でしょう。今回は、同じアメリカでも都会から切り離された場所の話です。

わたしは夫の仕事で、ネイティブアメリカン(アメリカインディアン)の居住区の中にある、人口1000人の小さな小さな村で2年間生活をしました。居住区とは政府指定のネイティブアメリカンが生活をする地域のことです。文化を守り継承していくために、村にはこれといった産業がなく(持ち込めず)、みんな一生懸命に暮らしているのに、貧しさから抜け出せないのが実状です。どこを見ても手入れのされていない家ばかりでした。
日本の便利で清潔な生活からは想像もできない情景が、ありました。

その村に引越したのが、息子が生まれた1週間目。わたし自身の体調もすぐれないまま、慣れない環境で子育てを始めました。

舗装されている道路が限られていたので、乳母車を押しての外の散歩は、玄関から門までの道をひたすら何度も行ったり来たりしたこと。政府が運営する地元の方専用の大きなクリニックを横目に、検診や予防接種には、隣町まで通ったこと。20リットルの水ボトルを買って使うようになったこと。公園がなく、学校のグラウンドで息子を遊ばせたこと。ある週末、郵便局の窓ガラスに銃弾が撃ち込まれていたこと。(居住区内では運転免許証が不要なため)中学生が運転する車によくよく注意して歩いたり、運転していたこと。さまざまなことが思い出されます。

最初の3ヶ月は産後の情緒不安定も手伝い、育児はわからないし、環境は違うし、何より物理的に孤立しているという思いで、本当に辛い毎日でした。息子にはできるだけ笑顔で接しましたが、今思うと余裕のない笑顔だったでしょうね。

(その2へつづく)


アメリカからのこそだて奮闘記


日本で大手企業の広報課長を務めているときに、アメリカ人の英会話教室の先生と結婚、渡米。日米の文化の違いに悩まされながら、子育てに奮闘中。

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