2007/12/20

冬の始まりの嵐

サンクスギビングが終わって、いよいよクリスマスモードに突入するその週末、日曜日に嵐がやってきました。

私が住んでいる地域は、冬場に雨が多く風が吹き荒れることが多いので、「また来るのか」と鷹をくくっていたところ、大変なことになりました。

秒速65mの風を想像できますか?「猛烈な台風」と言われるものが秒速54.1mからと区分されていますので、台風にするとその部類です。夜、11時頃に停電になり、いつものこと、すぐに戻るだろうと思いながらベッドに入った翌朝、あたりの光景を見てびっくりしました。庭には近所の家の屋根が飛んだ残骸、折れた木や葉っぱが散乱しています。幸いなことに我が家はダメージを受けずに済んだのですが、とても厄介な嵐だったと気がついた夫と私は、あまりにものんびり構えていたことに反省するばかりでした。

道路には垂れ下がった電線、倒れた木、屋根やガラス、看板など様々なものが飛び散っていました。ラジオでもまだ危険な状態なので、外出は控えるようにと繰り返しアナウンスされている中、公私立の学校はもちろん休校。夫も自宅待機となりましたが、全寮制の職業訓練校に休みはないので、私は職場に出かけました。電気も暖房もなく、電話(ケーブル)もつながらない上に、携帯電話もアンテナが倒れているのでしょう、使えません。私はひたすら連絡係を努めました。

幹線となる国道も、樹木が倒れていたり、浸水して閉鎖。地域は完全に孤立してしまいました。電話も市外電話が通じず、警察・消防への911(日本では110と119)回線が何らかの理由で使えなくなっていました。地域の10万世帯が2日から1週間も停電する大変な状況だったのです。市はすぐに緊急対策本部を設置しました。

町の公共ラジオは発電機を利用して、緊急連絡先、被害状況、ストアやガソリンスタンドの営業情報、教会やボランティアが泊まる場所や食事を提供している情報、電気の修復状況などを24時間流し続けました。唯一の情報源となったこのラジオ放送は本当に有難かったです。

アメリカからのこそだて奮闘記


日本で大手企業の広報課長を務めているときに、アメリカ人の英会話教室の先生と結婚、渡米。日米の文化の違いに悩まされながら、子育てに奮闘中。

アメリカからの子育て奮闘記TOPページへ