2004/3/4

出産その1

友人夫妻の協力で、引越しは何とか乗り切りました。家の中には箱があちらこちらに散らかっていますが、生活できているし、気にしないことにしました。

ヤキモキするのは、一向に兆候のない出産です。引越しでも一所懸命動いたつもりなのですが、予定日前最後の検診でも子宮口は指先ほどしか開いてないとのこと。それでも、2ヶ月ほど前の溶連菌検査で陽性が出たこともあり、その1週間後に誘発をすることになりました。
気持ちを落ち着けるために、長男の髪を切り、生まれてくる子の洋服タンスをもう一度整理し、食料の在庫を確認。でも心はここにあらず、です。

ところが1週間先を待たず、予定日の2日後の朝、陣痛が始まりました。6分間隔になったところで、病院に駆けつけたのですが、その後、急に陣痛が遠のき、結局「出直し」になりました。こんなことがあるのかとびっくり。息巻いて出かけたのにもかかわらず、空振りとなり、息子からは「ええっ?!赤ちゃんはどうしたの?」と言われる始末です。
ただし、陣痛が起こるということは「もう近い」ということ。「たくさん歩いていらっしゃい」という医師の言葉に忠実に、休日で誰もいない夫のオフィスに付いて行き、40分間建物の中をずんずんと歩きまわりました。
その甲斐があったのでしょう、夕食後にはっきりと強い陣痛がやってきました。午後10時には6分間隔になり、夫の運転でまた病院へ。ER(救急救命室)に着いた時には、自力で歩くのが難しく、車椅子に座り込むほどでした。

病室は分娩室を兼ねた個室。看護師はモニターを付けたり、点滴を打ったりてきぱきと処理する合間に、陣痛時には呼吸を合わせてくれます。深夜を過ぎているのに、痛みで意識ははっきりとしているものです。そうして5時間経った頃、子宮口が6センチ開き、ようやく麻酔の許可がおりました。
やってきたのは、麻酔専門の男性の看護師です。今呼び出したから、という声を聞いてから彼を見るまでの長かったこと! 

麻酔が効き始めた頃には、私は「妊婦は皆、あなたのことを神様だと思うわよねえ」と冗談を言えるほど余裕が出て、「さあ、頑張って産むぞ!」という意気込みになっていました。


アメリカからのこそだて奮闘記


日本で大手企業の広報課長を務めているときに、アメリカ人の英会話教室の先生と結婚、渡米。日米の文化の違いに悩まされながら、子育てに奮闘中。

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