2003/8/14

つわり、再び

初夏。
胃痛とたちくらみが頻繁に起こるようになり、身体が本調子になりませんでした。

そして極めつけは、お腹がしくしく痛んだり、胸が張ったりしているのに、来るべきものは来ず。もしや、の気持ちで市販の検査薬を使ってみました。
「妊娠」を知らせる赤い線がひとすじ、くっきりと現れました。

息子はまもなく4歳。二人目はもうできないのかな、と諦めかけていたところにひょっこり、そしてびっくりです。
夫も私も、息子が将来ひとりきりでは淋しいだろうと思っていましたし、友人の赤ちゃんを抱かせてもらっては、もう一度この感触を味わいたいと懐かしんでいました。そういう意味では、よくぞやってきてくれた!と夫とふたりで大喜びでした。

ところがその直後、わたしの母性とは違うところに、ひとりの女性としては素直に両手を挙げて喜んでいない、自分がいることに気がついたのです。去年から、息子がプリスクールに通う合間に学校でボランティアを始め、来年は臨時職員のリストに入れてもらう手続きをするつもりでした。そして、そこで息子や夫の関連ではない、自分自身の交友関係を広げつつありました。出産をしたら、その後少なくとも2年間はまたそういった世界とは遠ざかってしまう、わたしのキャリアはどうなる?という複雑な気持ちがくすぶっていたのです。

まったく都合の良いわたしです。

更に、何といっても最大の心配事は、高齢出産になること。具体的なことが起こるまで、あまり深く考えていなかったというべきか、いざそうなると、とても心配になるものです。

お腹の中の小さな命は、そんなわたしの心配や葛藤を知っていたのかもしれません。妊娠を知った2週間後から、わたしは猛烈なつわりに苦しむことになりました。まるで彼(彼女)が「もう、ママったら。ここにいるんだよ!潔く心の整理をつけて、わたしを育てることに専念してよね。」と主張していたかのようです。

そして、不思議なことに、つわりが徐々に治まり始めた1ヶ月半後には、わたしの気持ちはすっかり落ち着いていました。


アメリカからのこそだて奮闘記


日本で大手企業の広報課長を務めているときに、アメリカ人の英会話教室の先生と結婚、渡米。日米の文化の違いに悩まされながら、子育てに奮闘中。

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