2002/5/2

即席日本語インストラクター

ボランティアをしている姉妹都市協会から、会員数名が親善訪問団として日本へ行くことになり、彼らに簡単な日本語を教えました。

挨拶に始まり、時計の読み方までを短期集中、計6時間で練習しました。生まれてから何の疑問も持たずに話してきた言葉を教えることの難しさ。これは頭の中が白紙の息子に日常生活の中で語りながら教えるのとは、わけが違います。彼らは50年以上英語だけを話しその文法や発音が基礎にある上に、理論的に考えてしまうので、日本語を取り込むのはなかなか大変です。加えて、教えることに素人の私は「てにをは」がどうしてそうなるのかと聞かれるとお手上げ。短い通例文の中の言葉など、深く考えると余計にわからなくなりそうなものもあるし、文章パターンを覚えてもらうことに徹底しました。いい加減をしているつもりはないのですが、とても難しいものです。
日本語教師の皆さん、ごくろうさま、です。

私は米国に来て、英語で数え切れないほど痛い経験をしてきました。一番最初のそれは、航空会社に電話で予約の確認をしたときのこと。特殊なチケットを説明しようとする私の語学力が足りず、カスタマーサービス(お客様係)は「英語、話せよ」。英語圏にいるからには、完璧な英語を話さないのは客とみなされないのかと、ひどく落ち込みました。この後しばらくは、スーパーにいくのも夫と一緒でないと心細く思ったものです。
日本での暮らしが長かった夫ですが、幸運にも(?)「日本語を話せよ」という人には当たったことがなく、むしろ丁寧に接してもらったことが多かったと言っています。

親善訪問団が日本で良い経験をしてきますように。


アメリカからのこそだて奮闘記


日本で大手企業の広報課長を務めているときに、アメリカ人の英会話教室の先生と結婚、渡米。日米の文化の違いに悩まされながら、子育てに奮闘中。

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